この間、建築専門誌のインタビューを受けて、
改めて自分と建築・地域などのフィールドふくむ
暮らし方、環境の捉え方を考えさせられた。

 

そういえば、

小さな頃、父の書斎にある設計の

道具がかっこいいなあと思って、

どうやって使うんだろう?って思っていた。



高層ビルを作ったり、

ショッピングモールや公的なホール、施設を作ったり。


 

構造設計をしているとは知っていたけれど、

大きなものすぎて、

なんだか自分の感覚としてつかめなかった。


そんな中でも、旅行に行ったりしたときに、

有名な建築家のたてたものに出会うこともあり、

父から解説を聞いたこともあった。


小学校のときは、家に持って帰ってきてくれた、

壁紙のサンプルや資材のはしきれで、

自分の理想の家を作って遊んでいたっけな。



カラフルな壁紙、理想の生活、仕事、暮らし。

どこで、どんな風に、誰と・・・?

思い浮かべて、家を作るのはとても楽しかった。



大阪のよくある新興住宅街で生まれ育ったわたしは、

それにもかかわらず、

「家」が「家」の内側のみだという概念を持てなかった。



閉ざされた空間の中で、夏休みひまだからってずっと閉じこもって

ゲームなんかしていると、

自分が人間かどうか分からなくなって、

だるくて、このままじゃ溶けてダメになるって思ったものだ。



人と自然が分断されてる感覚、というか。



大学生になって、土を求めて田舎暮らしを始めたのは

そのせいもあったんだろう。



家とは、わたしにとって、家+庭のもっと先・・・

山とか、平野とか、そこのまち全体につながるものらしい。



今暮らしている、自然に続く古民家の畳の上で、寝転びながらそう思う。



「家族」もそうかもしれないなあ。


家族っていうと、血縁とか、親子とか、

そういう概念を持っている方が多いけれど、

わたしにとってはそれを超えたものも含む。



親と同じくらい慕ってきた人たちもいるし(血縁はない、赤の他人)

一人っ子だけど、兄弟とか、姉妹みたいにしてくれる人もいるし、

子育てをしていても「地域のこども」「みんなの孫」として、

育っているのを見ると、とても嬉しくなる。



移住者同士で、親戚みたいに協力しあって育てているのも、

すごくすてきだと思うしね。



どこまでが、家?

どこまでが、家族?



それって決められたものではなくて、

実は自分で選んでいけるもの。

作っていけるもの。



そう思えると、窮屈さはどこかに行って、

まちや家族がもっと、広くてたのしいものになる。


自然と自分もつながって、

分断されない、ひと続きのものになる。



◾️今日のしつもん


あなたにとって、家族ってどこまで?




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