朝の台所



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朝4時に起きて、まだちょっと寒い実家のストーブをカチッと着ける。

父がずいぶん回復して、退院したというので、顔を見に帰ってきた。


眠たい目を覚ますためにコーヒーを沸かして、こぽこぽカップにいれる。

そして、講座プログラムのための作業を始める。


膨大な数の付箋。次々と思考の素材を書き出していくうちに、ああ、こうだ。こうなんだ。と、文脈が生まれてくる。


つながっていなかったことがつながって、ああ、数学と仏教がここでつながるのか!表現と生きることってこうつながるのか、とドキドキしてくる。血がうごめきだす。ひとりであつくなっている、台所。


自分を幸せにして人にも役立てる人



「自分で答えを出す人
=クリエイティビティのある人
=作る側の人
=能動的に人生と関わる人
=ぽっちりライフを歩む人」だと思っている。


わたしは、作品を見せたり売るでもなく、

うまくなるための絵画教室でもない講座を、提供している。


自分で答えを出す人

日常でクリエイティビティを持って生きる人

消費側でなく作る側の人

を作るための。


つまり、能動的に人生と関わり、生きるための考え方、プロセスを学ぶ講座なのだ。そのプロセスの先に、自分なりの価値基準と選択が生まれ、ぽっちりライフ(自分にフィットした暮らしや仕事、人生)が歩める。


そうすると、

自分を幸せにして人に役立つように生きられる。



わたしの表現を見て、「なるほど~、うんうん、そうだよね~」って思ってもらえるのは嬉しい。だけど、それは、実は一人一人が自分ができることでもある。


人が作ったものを味わって終わり、共感してシェアして終わりではなく、

「自分自身の言葉を、生き方を、自分で紡ぎ出せる人になってほしい」というのが、わたしの本質的な願いだ。


その要素は、すでにその人の中にある。あとは、ちゃんとプロセスを踏んで、自分で紡げる人になるかどうか。それだけ。


自分には考えがない?



自分には個性がない、考えがないという人がいるけれど、それはプロセスを抜かしているから。それだけのこと。そこを踏めば、素材は誰もが持っている。


「すごい」と言われる人は、「もともともっている素養がすごかったから」とみんな言いたがるけれど、その人たちは、プロセスにおいて必要なことを地味に続け、諦めなかった人。


そういう人を、世の中にひとりでも、ふたりでも生み出していくためのお手伝いがしたいと思う。


プロセスを愛する



 そのためには?


プロセスを愛してあげてほしい。

「ヒビノさんは、息継ぎが長いよね」と言われることがよくある。


自分の中で、思考の紆余曲折があり、あっちにいってこっちにいって、迷いや悩みにも出会って。でも、それらをたどっていくうちに、答えが出る瞬間にたどり着く。その間にあるものを、文章で感じさせてもらってると。


ああ、なるほど。と思う。


わたしの場合は、小さい頃から、その息継ぎの長さ・・・いつも自分のバックで起動している思考が膨大すぎて、どうにか整理しないと、やっていけなかったんだよね。


そして、その思考プロセスを自分で昇華する方法として、「書く」ということや、「表現」を使ってきた。書くということによって、整理し、深く、自分と対話していく。


そして、表現が素晴らしい点は、自分の内面との対話ができ、人に伝える言葉にしていく。という両面が伴うところだ。


女性の場合だと、誰かとのおしゃべりによって自然にしているいことはあると思う。だけど、おしゃべりだと、浅い「わかる~そういうことあるよねレベル」で落ち着いてしまうことも多い。もっと深いところまで、たどり着けるのが、作業の良いところだ。(孤独だけど)


「ああ、これはこういうことだったんだ!」と腑に落ちるところまで。

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0から1を紡ぎ出すモトのモトのモト



昨日会ったデザイン企画会社の経営者の友人と、今度する講座プログラムの内容について話していたら、すごく盛り上がった。彼女が言うには、


 「横に横に広がっていくアイデアを広げるワークとかはよくあるけれど、こんな風に、思考を下へ深く深く深めていく、そして文脈をつなげていくようなやり方ははじめてみた。 ここからけいちゃんの表現が生まれてきてるんだって思うと、なるほどって感じやわ。このやり方を知ってたら、経営者や、クリエイターも、そのへんのものを組み合わせるだけでなく、ほんとうの意味の0から1を生み出すことができるようになるね」


そうそう。その思考の、モトのモトのモトになるような、ものなんだよね。


みんな、プロセスを避けすぎる。

だって、しんどいから。めんどくさいから。投げ出したくなる。答えを誰かに求めたくなる。紆余曲折のロングストローク、考え続けるって、すごく体力がいること。だけど、それを省くせいで”自分で答えを出す”ということをなくしている。


答えを代替してもらうということは、楽だけど代替可能な自分になること



考えることをやめ、誰かに答えを求める。ゆだねてしまう、避けてしまう。それによって、自分の考えや視点を持てず、自分自身の個性やクリエイティビティを、自ら封じてしまう。


プロセスには作業が必要で、作業をするときには重い腰を上げなくてはいけない。わたしでさえ辛いことがある。なんとなく生きていたら楽なのに、やりだすまでがしんどいのだ。


子供には「いっぱい勉強しなさい、大人になったら困るよ」と言うくせに、自分は、大人になったら勉強したり、めんどくさい作業をしたくなくて、人に答えを代替してもらう人が多い。


人に答えを代替してもらうことは、その瞬間は楽だけど、将来的に、代替可能な自分になってしまう、ということでもある。機械でもできる仕事はこれから淘汰されるか、賃金も安くなっていく可能性が高いのに、一瞬のめんどくささに負けて、せっかく持っている自分の個性・唯一性を封じ込めてしまうのは、ものすごい損失である。


 

だから、「ここが踏ん張りどころだ」と作業にとりかかる、その連続が人を作っていく。(と、わたしも毎回頑張って腰をあげてる 笑)作業さえ初めてしまえば、たくさんのことに出会える。


そして、その作業を経たときに、自分の価値基準や、視点を発見できるようになっていく。トレーニングして作っていく、とも言える。 ここは、やはりしんどいけれど飛ばしてはいけないところ。



悩みは熟考に変えられる



プロセスというのは、一見もやもやしていてとっつきにくく、「悩みや迷い」にも見えるもの。


たくさんのことをキャッチして、よく考える人ほど、その扱い方を知らず、「迷ったり悩んだりばかりしてる自分はダメ」「めんどくさい人間だ」 と思いこみやすい。


 だけど、実はそれだけの素材を持っているということ。適切に自分と対話し、答えをみつけていく作業をすることで、「悩み」 は「熟考」に変えられる。


ただの悩みは、いつまでも答えが出ず同じレベルで同じところをぐるぐる回っているものだけど、熟考は、物事のしくみや道理を教えてくれるので、人にも役立てられるし、今までより一つ階段を上がったレベルに、自分を持って行ってくれる。


熟考からは、唯一の自分の発想、視点、表現が生まれる。


だから、プロセスを邪険にしないで、愛してあげてほしい。

 めんどくさいものだけれど、それがあなただけの強みにも変わるから。


学ぶなら、答えより数式



みんな、答えを出してもらおうとする。だけど、本質的には自分で出した答えほど、自分の人生を構成してくれるものはない。


人に学ぶなら、「答え」そのものではなくて、自分で答えを導き出すための「数式」のようなもの(作業)であるべき。


数式が、プロセスから結果を導き出してくれる。

わたしは、そのための適切なやり方、作業を、伝えていきたい。

ひとりではできなかったり、枠からでれないからこそ、場をともにして。


そうしてはじめて、

「依存ではなく自分で立つ人」、

「自分を幸せに、人に役立つことができる人」が育つと思うから。



 

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