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高知の田舎から、実家のある大阪へ年末年始の帰省をしている途中。一泊だけ神戸に泊まり、朝、美術館に寄ってから実家に帰る予定。


ホテルに来るとほっとする。

出張でもいろいろな都市のホテルに泊まる。ふかふかのベッド、シーツがパリッとしていて、お風呂には白いバスタオルがきちんと置かれてある。白い壁紙の部屋には間接照明が柔らかくあたっていて、空調は心地よい。ああ、落ち着く。


9年前移住してからは、高知の山奥で土壁の古民家に住んでいて、窓からは緑がすっと見える。それが心地よいのだけど、このホテルで感じる心地よさも、またほんとだ。
 


「守られている」という感覚は何なんだろう。



山で暮らしていると、風がとおり、空気が澄んで、太陽はさんさんとあたる。緑がつやつやとして、びっくりするほど近くに小鳥がいる。食べ物は大地から目の前で採れ、ほんものの土や木でできた家で体が研ぎ澄まされていく。



そんななかで感じる「守られてる感」は、自然に基付いて生きるという生物としての根源的な安心感なのかもしれない。たいていのことが小さく、どうでもよくなる。


でも、それらの美しい自然は、ときどき脅威にもなる。日々美しいなと思って歩いている山では、いつマムシにかまれて死ぬかわからない。透明にキラキラしている川は、ある日突然あふれ、家を飲み込もうとする。古民家での暮らしは、通気性が良すぎて、冷えとの戦いだ。




むきだしになった野生にハダカで放り込まれたような気分になる時、わたしは生物としての弱さを感じる。最初は、それがイケナイことのようにも感じた。なんて非力なんだろうって。


田舎で暮らすのが好きなのに、寒さに弱い。土間でマキをくべてごはんを作るとおいしいのに、フローリングの台所で便利に料理をしていた方がラク。こんなに新鮮ないい食べ物を食べても、そこまで体力ができない。自然は美しいけど、それだけじゃ足らず、美術館に行きたい。ホテルにくれば、落ち着いちゃう・・・。


そんな弱っちいわたしが田舎で暮らせているのは、ひとえに周りの人が助けてくれて、安全な環境に置いてくれているからだ。それでも何年か田舎で暮らしていると、たくましさも数パーセントは出てきて、体のなかに野生的な部分が開発されてゆくのがわかる。


田舎では「人とのつながりによって守られ生きていられる」と発見し感謝しながらも、ときどき都会に来れば「誰もわたしを知らないこと」に快感を感じ、個でいられることにほっとしたりする。



それはそれでいいや、と思えるようになったのは移住して3年くらいたってからかもしれない。


だって、なんだかんだ言ったって都会育ちなんだもの。生まれた時から現代人なんだよなあ。ルーツ、というのはいろいろな面で作用するけれど、無視できない、しなくていい、踏まえていく必要のあるものなんだろう。



「移住して田舎で暮らしてます」というと、「都会に未練はないんですか」「都会より田舎の方がいいんですか」なんて聞かれることも多い。



だけど、わたしたちは、都会か田舎、どちらかに帰属しなければいけないのだろうか?どちらかに自分を規定しないといけない存在なんだろうか?



緑がきらきらしている山を見ながら土壁のなかで暮らす開放感と、夜景を見ながら居心地の良いホテルで過ごす安心感。どちらも内包していけばいい。というか、もはやするしかない。



さらされ、守られていることに気付くこと。

それでも、したい暮らしを絶妙なバランスで整備していくことは、

矛盾したかのように見える自分を、まるっと認め止揚していく作業。



たくましさが数パーセントはないと自然のなかでは生きていけないけれど、現代において田舎で暮らすということは、素直に、それでいんだと思う。


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