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こういう場面をみると、悲しくなる。

褒めている人も、その子を見ていて素直に思ったとおりに言ってくれているだけ。子どもさんも、その子のやってることで褒められただけ。なのに、なんで親が出てきて全力で否定するんだろう?


日本には謙遜という言葉があり、それは正しい意味で用いられれば、おごらない、天狗にならない・・・すばらしい効用があると思う。だけど、謙遜の意味をはき違えて、過剰になってる人がいっぱいいる。


謙遜と言いながら、相手の気持ちを受け取らない、子どもを否定するのは全く違う。 


もちろん、褒めにもいろいろあって、薄っぺらくて人を操作するための「褒め」は、人をおごらせることがある。それはいろんな人に褒められながら、気付いて見分けていくもの。だけど、たいていの褒めは、純粋にその人を見て、相手の視点から見えていることを言っているだけ。


親としては「子どもが褒められておごらないように」 「世間体として」などの理由で謙遜しすぎるんだろうけど、心配しすぎて過剰にやっちゃう人って、きっと自分自身がそう思う人なんだろうなあ。そして、それが子どもとは違う世界だということに、気がついてない。自分と子どもが違う人間だと切り離せていない。


せっかく褒められたのに、そのあと2倍くらい嫌なところを取り上げられて否定された子どもは、「自分なんてやっぱりダメなんだ・・」と自分に刻んでいくよ。すると、自己評価が正しくできない、自分で自分を満たすことができない子どもになっちゃうよ。


むしろ、劣等感からもっと認められたい、もっと褒めてほしい、いやいや自分なんて全然ダメだ、と極端に増長したり卑屈になったり・・・ということにつながる。逆に、人からの評価に振り回される人になっちゃうよ。その方がやっかいじゃない?


純粋に褒められた時にちゃんと「ありがとう」って受け止めるのは、相手への感謝だよ。相手がその子の素晴らしさを見てくれて、言葉をくれた。そのことへの感謝。これも大切な礼儀だし、もらったその人へのお返し。


素直に受け止めれば、相手が「この子に言うと、ちゃんと受け止めてくれて嬉しい、気持ち良い子だな」と思ってくれる。子ども自身も「褒め」をフツーに受け止めていくことに慣れれば、むしろ増長することもないし、卑屈にもならず、自分の力にしていけるようになる。


この子とこの親御さんすてきだな、うまくいってるなと思う人は、子どもが褒められた時、そばでにこにこ見守っていることが多い。自己肯定感をしっかり育てられた子は、否定だって褒めだって、そのままに受けとめていける力がつく。そんなふうに感じる今日この頃です。

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■著作エッセイ漫画
山カフェ日記~30代、移住8年。人生は自分でデザインする~
山カフェ日記~30代、移住8年。人生は自分でデザインする~ [コミック]





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