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台風がびゅんびゅんやってきて、急いで雨戸を閉めた。
山や川は、普段は穏やかで美しいけれど、ひやっとするほど荒れている。こんなときには、おじいちゃんが教えてくれたように「山の水がうまく流れるように溝を作りにいかんと」・・・そんなことを思い出した。


突然だけど、もうすぐ100歳だったおじいちゃんが亡くなった。

夫の実家のおじいちゃん。わたしが大学生の時から、夏休みになると高知の山へ訪れて一緒に過ごさせてもらった。おじいちゃんは、脳梗塞もしていたので、発する言葉がちょっと分かり辛くて、聞き取れるようになるまで時間がかかった。


だけど、何かを言っても言わなくても、その場にいるだけで穏やかな気持ちになって安心感に包まれる。そんな存在感を持つ人。


元気な時には朝から農作業をして、日の当たる時間には、古民家の中で涼みながらテレビで甲子園を見る。高校野球の実況の音、おじいちゃんが寝転んでいる姿を見ながら、アイスを食べる。それが夏の日課。


家族でも、家族でなくても、家族になってしまうような、そんな大きな包容力が広げられていた。


何気ない時間だったけど、おじいちゃん、おばあちゃんと縁側で過ごす風景がずっと体の中にあったから、息子が生まれた時すぐに高知へ移住しようと決めたのだと思う。


自然と敬われる存在




歳をとるにつれ、できることは減っていった。ただ、いつも大きな椅子に座って、家族を見るまなざしが温かかった。どんな人がやってきても、おじいちゃんを見るだけで癒され、手を合わせたくなるようなところがあった。「威張らなくても、自然と敬われる」というのはこういうことなんだと知った。


物事を自然にそった長いスパンでとらえ、働きぬいてゴツゴツした手に、曲がった指に、知恵がたくさんつまっている。生き方が存在ににじみでていた。

 
おじいちゃんが弱っていた頃にうちの息子が生まれ、あやしているうちに元気になり、ハーモニカを吹いてくれた。少し認知症になってからも、息子を見る時にはスイッチが入り、やっていいことと悪いことを教えてくれた。


 息子もおじいちゃんがいるおかげで、自然と歳をとった人にどう接していいかが身につき、やさしく育ってくれている。「教育」というと学校や塾、特別なことだと思いがちだけど、毎日そばにいる人の気配から学びとることというのが何より大きい。


人の最後に出てくることば



 
おじいちゃんは、寝たきりになってからも「ありがとうございます」とうわごとのように繰り返すことがあった。認知症になって、でてくる言葉は自分でコントロールできないはずなのに、最後の最後まで感謝の言葉が出てくるなんてすごいと思った。



おじいちゃんが亡くなって、いつも使っていたベッドを見ると、そこに昨日までの気配がある。でも、もうここに寝る人はいないし、動くことがない。


昨日までいた人が、いなくなるっていうのはどういうことなのか。正直言って、まだ実感がなく捉えどころがない。これから毎日じわじわ感じていくんだろう。



だけど、安心感を残して逝ってくれた気配は、温かい。
誰だっていつ命がなくなるかは、わからない。今日しかないかもしれない。



その一瞬まで、できれば「ありがとう」と言って生きていけるように。
安心感を自分から作っていけるように、日々を歩みなおしていきたい。


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■著作エッセイ漫画
山カフェ日記~30代、移住8年。人生は自分でデザインする~
山カフェ日記~30代、移住8年。人生は自分でデザインする~ [コミック]










■私がオーナーをしている、自然派菓子工房「ぽっちり堂」
山の素材で手作りした優しいお菓子ギフト・内祝い