私が暮らす「高知県嶺北地域」の「タオカクリーニング」3代目社長、上地正人さんとの対話。5回シリーズで掲載していきます。先日の記事地域創生「田舎の小商い」地域を救うのは成功事例のマネでも、ものすごいアイデアでも、カリスマヒーローでもない「小さな経済を自分で作れる人の存在」でご紹介しましたが、私はこういった一人ひとりの地域の方が、これから未来を作るカギになってくると思います。
上地さんは、私よりも若い経営者。知り合ったきっかけは、慶応大学大学院のビジネス研修で一緒に学んだこと。子育てや地域活動もしながらも、常に新しい発想を持ってこの山奥で自営業を発展させておられる姿は、普段から本当にすごいな~と思っていました。山奥で暮らしている方のお話は、なかなかメディアに出ることがありません。でも、実はとても面白く、味わい深い。それを、お伝えしていけたら嬉しいです。
■第一回目の話のポイントは、この4つ。
1、祖父母から事業を継承。常に新しい切り口を考えながら発展させていく姿
2、病院のクリーニング、貸し布団事業が伸びた理由
3、どんなに普通に見える仕事も、田舎で成り立ってるのは奇跡!
4、「もがいてから判断しよう」ストップをかけるラインは「最初から」じゃなくて一つズラすくらいがちょうどいい
それでは、どうぞ~^^
■高知県嶺北へUターンし、クリーニング屋を継いだきっかけは?
↑古い民家を改築されて今の形になったクリーニング店。とても味わい深い建物。ツアーがしたい!
上地:2015年で都会から高知へ帰ってきて8年です。ケイコさんと一緒に慶応大学大学院の地域起業家養成研修を受けていた時は帰ってきて2~3年のころだったんですよ。
ヒビノ:そうなんですか、じゃあ私と同じくらいに帰ってこられたんだ!それまでは、大阪のクリーニング会社で修行されていたんですよね。
上地:はい。修行を3年半していたころ、実家でクリーニング店をしていたおばあちゃんが体が弱って。それを機に自分でもやってみようかなと思いました。母は銀行へ勤めていたんですが、僕が帰ってくるというので退職して手伝ってくれるようになりました。
ヒビノ:そうなんですか!じゃあ、親から継いだというよりはおばあちゃんから継いだ、ということなんですね~。上地さんが帰ってこられるまではおばあちゃんが1人でバリバリやってらっしゃたんですか。
上地:そうなんですよ~。おじいちゃんがもともとやっていたんですけど亡くなって、その後はおばあちゃんが1人+パートさんで。50年前にはじめたんですよ。普通の家を改装して。それまでは料理屋さんやったり、ダム建設までは鵜飼い漁を吉野川でしていたことも。そのころは、下の洗い場で鳥を飼っていたらしくて・・・!

↑嶺北を流れる「吉野川」
ヒビノ:へえ~!すごい。ここで鳥を!なんだか歴史を感じますね。
上地:そうそう。で、ダムが出来るときに鵜飼い漁が全面禁止になって。じゃあ次何しようかな?と考えた末にクリーニングをはじめたらしいです。
ヒビノ:でも、その当時ってクリーニング店は珍しかったんじゃないですか?先進的ですね~。
上地:そうなんです。まだクリーニングが出来たばっかりで。うちは、おじいちゃんが「人と違うことをせんと、食い合いになる」って
いう考えの人でした。だから人がやってないことを追い求めるタイプだったんです(笑)
ヒビノ:おお~すばらしいですね(笑)目のつけどころに長けてて実験できる人だったんだ。
上地:例えば、うちは病院の白衣のクリーニングもしていて、固定収入になってます。それも、うちのおじいちゃんが他にもクリーニング屋が複数できたときに「人と違ったことをせんと食い合いになる」ってことで始めたんですよ。当時は今よりも全然人口も多くて良い時代だったんです。一般的にはわざわざ病院のまで進出しなくても、家庭用クリーニング業をやってれば大丈夫っていう見方をされていた。だけど、今となっては時代も変わり、それがものすごい財産になってるんです。
ヒビノ:へえ~、すごいなあ。じゃあ、他の人がまだ全然大丈夫って思ってる時期に、何年も先を読んでるおじいちゃんだったんですね。
上地:「人と違うことせんといかん」がとにかくモットーだったんでしょうね。病院もそうだし、今は嶺北全域の旅館のシーツもやってます。

↑民家の地下にあるクリーニング工場
■何か新しい方法があるかもしれん。といつも思ってる。
ヒビノ:上地さんをずっと見てると、そのおじいちゃんと似たような発想を感じます。手をうつの、早いですよね?
上地:そうですね。現状を守るのも大事だけど、先も見ておかないととは思ってます。
常に「何か新しい方法があるかもしれん」と考えてます。リスクマネジメントもそうですしね。アクシデントがあっても、何にも考えてないよりはええかなって。
ヒビノ:うんうん。ですよね。上地さんの代になってからクリーニング屋さんの業態として伸ばしているのはどのあたりですか?
上地:まず、病院での仕事というのはお客さんと直接顔を合わせないんですよね。集めてきて、納品する。昔はずっとそれでやってきたんですけど、僕の代になってから「もっとお客さんのニーズを知りたい」と思って。アンケートで聞き取り調査をはじめたんです。「納品日はこのままでいいですか?どの日が都合がいいですか?」「仕上がりで気になるところありませんか?」って。
ヒビノ:それで分かってきたのは・・・・・
上地:みなさんのより都合の良い納品日が分かったんですよ。この日に変えたほうがいいっていう。不思議なことに、変えただけで売上は大幅に上がりました。パートさんを増やしたほどです。
ヒビノ:なるほど~!すごいですね。以前だったらタイミングが悪くて出せなかった人がいたってことなのかな。
上地:そうなんです。以前は、例えば月・木と決まっていた。だけどそれが実は、看護婦さんたちが使い辛いサイクルだったみたいなんです。サイクルとタイミングが合えばもっとクリーニングに出したい、ということだったんですね。最初、その病院の人数を見たときに「なんでこの規模でこれだけの人数いるのに、このくらいの量しかないんだろう?」って思ったんです。大阪で修行してた時、数字の見方を身に付けていたから「なんか原因があるはずだ」と思いました。最終的には、こっちの都合じゃなくて、お客さんのニーズを汲み取ることでここまで変わるんだって思いました。
ヒビノ:そっかあ。それすごく大切な視点ですね。面白いなあ!


↑レトロな階段がすてき。
■貸し布団事業は10組→100組へ成長
ヒビノ:今は「貸し布団業」もやっておられるんですか?うちでもよく、お客さんが滞在する時や移住関係のツアーなんかで利用させていただいてるんですけど。
上地:僕が帰ってくるまでは、老人ホームさんなどの施設関係に月払いのリースをしていたんですけど、個人宅には貸してなかったんです。自分が帰ってきたときに、たまに「貸して」って言われることがあって。で、これってまた商売になるんじゃないか?って。
ヒビノ:おお~。さすがですね。
上地:今、高齢の方が増えているじゃないですか。高齢になればなるほど、ふとんの出し入れって億劫になる。
ヒビノ:そうなんですよ。重いし、結構大変です。若くてもめんどくさい。干したり片付けたり。
上地:都会に住んでるお子さん達が休みになったら帰って来る。そんな時にあわせてちらしを打ったりしているうちに、一気に注文がきて。これはいけるぞ、と。あと、最近は移住者さんからのオーダーも多いですね。なんだかんだ、地元の方は布団を沢山持っておられるんですけど、移住者さんは家族ぶんしか布団持っておられない方が多いんでしょうね。
ヒビノ:ああ~。そうかも。うちなんかも、引越しの時、断捨離してから移住してきましたし(笑)親が来たときにも、布団の数はたらないので頼みたいです。ダニアレルギーの人もいるし、貸し布団のほうが手入れが行き届いてて安心です。
上地:そうですね。「お客さんがアレルギーだから」っていうことでの発注は多いです。うちだと、カビとかもないし、ダニ抗菌の加工なんかもしてますので。その情報を出すと、リピーターさんにもなってくれる方も多いです。あと、研修や移住体験ツアーなどでもよく利用していただいてます。

↑お天気の良い日には、いっせいに布団を干す。ぽかぽか
■どんなに普通に見える仕事も、田舎で成り立ってるのは奇跡。
ヒビノ:貸し布団部門は、上地さんが継がれてからどのくらい伸びました?
上地:当初10数組だった貸し布団の保有数が今では100組を超えました。ピーク時にはそれでも足りないこともあります。必死で頑張って、なんとか(笑)
ヒビノ:素晴らしいですね。じゃあ、病院とか他の部門もあわせて、クリーニング屋さんとしてこの先もやっていける見通しがある感じですか。
上地:そうですね。まあ、今年つぶれるってことはないですね(笑)
ヒビノ:でも、それってすごいですよね。どんな仕事でも、業種でも、田舎でそれを成り立たせるって大変なことじゃないですか。いくら普通に見えてもね。それが出来れば、田舎でも暮らしていける人が増えるわけだし。尊敬します。

少子高齢化が進む山奥で、事業をすることの奇跡。
■次の手がなくなるまで、もがいてから判断しよう
上地:帰ってきた当初は、正直大丈夫なんかな?とも思ったんですよ。でも、とりあえずもがいてから判断しようって思ったんです。
ヒビノ:あはは!その発想はいいですね~。
上地:ははは!どうしてもあかんかったら、見切りもつけないといけないけど、やれるうちはやってみようかなって。
ヒビノ:どのくらいもがいてOKっていうイメージがあるんですか?
上地:ねえ~。そんなに生活かかってるって訳じゃないときは、だいたい何でも「かまん、かまん」なんですけど。やっぱり生活かかってるんで、もがくのは「何にもしたくない」「もう何にも思いつかん」なるまではやるぞと思ってます。
ヒビノ:なるほど~。次の手がなくなるまではやると。
上地:そうです。それでもう思いつかんなるまでやって、そうなってしまったら、起動修正するつもりです。

■隠し玉をたくさん持ってる柔軟性
ヒビノ:一般的には頭打ちと言われているクリーニング事業においても、隠し玉というか、常にアイデアをいくつも持っている上地さんってすごいです。時代によって状況も変わるから「この方法はダメになっても、この方法ができる」っていう柔軟性や発想を持ってるのは大事ですよね。
上地:状況的には困っているように見えて、実はどんな時にも隠し玉はいくつか持ってる。せっぱつまってない、ていうのはいいですよね(笑)これもあるよ、みたいな。
ヒビノ:事業って、最初の0→1にする時が一番しんどい。でも、一度それを作れたら、その後の仕事は意外と作りやすくなっていくところってありませんか?「前は本当に0からのスタートだったけど、今回は座布団敷いた状態からのスタートだ」となっていく。
■「かまん、かまん。やってみいや」ストップをかけるラインは「最初から」じゃなくて、ひとつズラすくらいがちょうどいい。
上地:時々、自分で自分に言う言葉があって。それは「かまん、かまん」っていう言葉なんですよ。
ヒビノ:かまん?
上地:「失敗してもかまわん」ていう意味です。そりゃ大きい失敗は痛いですけど、そうじゃなければ全然いい。例えば地域の取り組みとかでも、誰かが「こんなことやらんか?」って言ったときに、それに対してすぐに反対する人もいる。だけど僕の場合は、どちらかというと「かまんき、やってみいや」派ですね。
ヒビノ:人にもそうだし、自分にもそうってことですね。
上地:何事も経験ですよね。考えながら、やりながら。だから「とりあえずやってみいや」なんですよ。ストップをかけるラインは「最初から」じゃなくて、ひとつズラすくらいがちょうどいいですよ。やるまえから、「無理にきまっちゅう」っていうのは、自分にも人のためにもならんです。もしだめだとしても、本人が一回失敗を経験したほうがいいし、そこから学べることがある。それが大ヤケドになりそうだったらとめるくらいがちょうど。そして、うまくいった場合には僕の考えの範ちゅうを超えたものになることだってある。
ヒビノ:そうですよね!結構あるある。例えば一年~二年では意味が分からなかった事業や活動が、五年たったら、「すごい!これ」ってすごい結果を見せてくれることがある。
それって、地域でよくあるなあって。「最初は分からんかったけどこういう良さがあるんや、この人はこういうことを考えてたんや」ってわかる。そういう時、感動します。子育てでもいえることですけど。
上地:ありますね~。それ、すごく大事。
___(第一回目終わり。続く)___________
ということで、第一回目はココで終わり。田舎の自営業の実態と面白さ、感じていただけたでしょうか?第二回目は、失敗のラインについて。後日UPしていきますのでお楽しみに~。
■第2回目→失敗の線引きは?資金の限度は?自営業に休みってあるの?高知県嶺北レトロなクリーニング店3代目「田舎の小商い②」
■第3回目→「若者の田舎暮らし、夫婦喧嘩の理由はコレ」地域をとるか、家庭をとるか?自営業とのバランスどうしてる?「田舎の小商い③」
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■著作エッセイ漫画 山カフェ日記~30代、移住8年。人生は自分でデザインする~ [コミック]
■私がオーナーをしている、自然派菓子工房「ぽっちり堂」
山の素材で手作りした優しいお菓子ギフト。