■京都は古い歴史の町だけど、新しい多様な流れも受け入れる場所。

今年も、人に会いに行ったり、講演しにいったりと何かしら京都へ行くことが多い予定です。
私にとって京都は大切な場所。大学時代から高知へ移住するまで7年ほど暮らしていました。
自分を育ててくれた町だと思っています。
京都というと古い文化、歴史的な町というイメージが大きいかもしれませんが、大学も多く若者や外国人も多いせいか、多様性を持った新しい流れも生み出す場所。学生時代暮らしていた左京区は、特に文化の巣窟。アートにしろ、学問にしろ、料理にしろ、活動にしろ、とにかく新しい動きが常にありました。「今はやってるものが、もう10年前にはすでにあったよね」的なものがあふれてる。マーケティング的に考えつくされた、完成されきった商品とかじゃない、創造的なエネルギーになってそこにある、というような感じ。
いつもどこかで先進的なワークショップや講演、映画、ライブがあり、新しい試みのショップや場もひらかれていて、よく通ってたなあ。若い人を育てよう、という気持ちのある大人も多くて、沢山のことを教えてもらいました。そういった刺激が多いけれど、だからと言って「都市」というわけでもなく、ふとそこに自然や鴨川があり、草むらの上で休憩できる。夏の夕方は、夕涼みもかねて鴨川の岸辺で楽器を弾いて、ふらっとやってきた友達と出会い、しゃべりながらお酒を飲む。そんな余白がある町でした。(関連記事京大吉田寮と「僕は猟師になった」千松信也さん。常識を打ち破る学生生活の3つの効用)
■変人、アーティストも生かしてくれる町。家賃コストは安くできる。
京都は一般的にはマイナーな人、変人、アーティストでもしっかりとそれぞれのコミュニティがあり、暮らしやすい場所です。京都は普通にマンションとかを借りようとするとそれなりの値段がしますが、家賃が安い物件は掘り出せば多々ありました。面白い物件ばかりをリーズナブルに扱う不動産屋さんもあって、私も一時、どれだけDIYしても良い、シェアアパートで暮らしてたこともあります。
共同のリビングはあって、自室がかなり狭いのが難点でしたが、壁に絵を描きまくってもOKで改築するのは美大生にとっては夢(笑)楽しかったですよ。そこは家賃が2万ちょっとだったかな。
うちの夫は1万円の共同アパートで暮らしていたこともありましたね。古かったけど大家さんがすごくいい人で、場所的には高級住宅街の片隅にあり、自然の中でよかったな。
友人は5名限定の女性用シェアハウスで2~3万くらいで暮らしてました。自分の部屋は6~8畳くらいあって、台所もお風呂もきれいなすてきな場所。左京区の中心部にも近く便利で、そこにアート系の友人ばかりが暮らしてて、時々みんなでイベントも開いたり、すごく楽しそうでした
京都は学生の町だから、昔から共同とか、シェアハウス的な暮らしが紡がれていたりして、そのへんがOKな人にとってはかなりコスト安く暮らせる場所だなあと思いました。家賃が安いぶん、食材とか暮らしのモノ、文化、自分の活動にお金や時間をまわしている方も多かったですね。街のハード面として、自分の家にコストをかけなくても、外に出かければすぐそこに素晴らしい建物も、ぼーっとできる鴨川も、充実して冷暖房のある図書室もある。大学では、一般向けの無料公開講座もよく行われている、というのは大きい要素だと思います。
■つつましいけど、リッチな生活文化をおくる人々。

50代くらいのアーティストの友人は、自宅とは別にちょっと山のほうに古民家を安く借りて、そこをアトリエにしていました。お金はかけてないのですが、彼のセンスと選び抜かれた美しい古物、アート作品がまじって、ピーンと静かだけど緊張感のある、美しい空間でした。そこではたまに宴が催されていて、これまたすてきな人たちが集まっていて、なるほどこれをサロンと言うのか、こうやって文化が生まれていくのか・・・というのを学生時代から味わわせてもらいました。
都会的な感覚で「お金で全てをまかなおうとした場合、どんなけになるねん!?」ってことが、京都ではつながりや文化背景によってクリアされている印象。京都では、アーティストでも細々と続けていけるのがすごいところ。昼間はバイトや契約で働いている方も多いですが、なんとかかんとか続けてはいける。だからもう70代になっても、そうやってそのまんま自分の軸で、楽しく暮らしていらっしゃる方があちこちにいました。
お金はそんなになくとも、文化的には高い水準で暮らしていけるような、バックボーンのある町。そういう受け入れ幅が広いからこそ、産まれ出す文化があるんだろうなあ。日本にこういう場所があることは本当にすばらしいことだなあと思いました。
■大好きな京都から出て、高知の山奥へ移住した理由は・・・

そんな愛すべき京都から出て、なぜ高知の山奥へ移住したのか?というと、「あまりに素晴らしすぎて、このままじゃあ自分が何にもしなくていいような気持ちになりそうだったから」です。「そこそこやっていけそうだけに、私の場合、何も極めれなさそうで怖い」とも思いました。
これ、私の場合のことです、あくまで。ほんと人の性格によるんですよ~。私の友人でも、そのまま京都で頑張っていて、素敵な暮らしと仕事を紡いでいる人は沢山います。先進的な場所の中で、刺激を受けながらどんどん極めていって、今や全国的になった友達もいます。そういう友人を、すごく尊敬しています^^(関連記事本「作ってあげたい、女の子のお洋服」FU-KO美濃羽まゆみさんと再会。自分らしく美しく、0から1を作りあげる力)
私の場合は性格的に「何にもないなら、つくろう」と思うワクワク感の方が好きだったんでしょうね。刺激をたまには受けたいけど、普段から何か創作していくには、あまり情報のないプレーンな土地のほうがいいと思いました。
■素晴らしすぎる恋人を持った気持ち?
また「こんなに京都に良くしてもらったんだから、何か返すような生き方をしないとなあ」と思ったのが一番大きかったです。「じゃあ、自分ができることって?」と考えた結果、もうすでに人出は足りてそうで他の人がいくらでもやってくれそうな京都よりも、「全国の地域に飛び出して、自分が学ばせてもらったことを少しでも役立ててみたい。何か少しでもできるなら、挑戦してみたい」と思ったんです。
これ、あまりに素晴らしい恋人をもったときの気持ちに似てるような気がします。
「こんなに至れりつくせり、良くしてもらったままでいいんだろうか?」
「このままじゃ、甘えたままでいてしまいそう」と思うから、自分も出来ることをしようとする。
好きすぎてだめになっちゃうから、離れるみたいな・・・?(笑)
■まともに見れなかったあのころ。やっぱりいいところだねって言えるようになった今。
飛び出してみて、何年かはまともに京都のことをみれなかったというか、評価できませんでした。
まるで別れた恋人に対して、うしろは振りむかず前へ進まなくちゃ!という気持ちで精一杯だったんだと思います。だんだんと高知の暮らしにも馴染んできて、5年くらいたって、やっと「もといた場所の良さ」をまともに見られるようになり、「やっぱり、ほんとうに素晴らしいよね」っていえるようになりました。これ、嬉しかったです。
移住したり、転職したり、恋人と別れたりすると、ふっきるためにも「前はこんなに最悪で」と言いたくなる時もあります。だけど、前の場や人を批判したり、憎んだりしなくてもよく、「やっぱり良いところは良い」「好き」でいいんだなって。でも、今はより一層、今の場所が自分にしっくりきている。それだけでいい。今は今選んでるものがしっくりきていても、人間は変化するものですから、この先また他のものを選ぶ可能性だってありますしね。
変化するにつれ、「好きな場所が増えていく」感覚を持てたら幸せ。
そんなわけで、私は今年も京都や高知を往復できるのがとても楽しみなのです。
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