みんなバラバラの世界でどう生きるか
最近もっと「みんなバラバラなんだ、違う感覚なんだ」って前提を持っていた方が、世の中の争いが少なくてすむんじゃないかって考えることが多いんです。そんな時、このツイートがすごくしっくりきたのでご紹介。
そうなんだよね。本当にみんな違う。見解もその根拠も背景も、それぞれにある。茂木健一郎@kenichiromogi
朝起きて、フェイスブックや、ツイッターを見ていたら、さまざまなことについて、さまざまな意見を言っている方がいて、それが、同じ事象について、真逆なことをおっしゃっている方々がいて、世の中というものは、ほんとうに面白いなあと改めて思った。
2015/02/05 07:40:56
ツイッターやSNSの世界ができたことで、それが明確に可視化されるようになったんだなあ。

茂木健一郎@kenichiromogi
「一億総中流」だとか、「単一民族」だとか、社会が均質だという「幻想」を抱くことができたある意味では幸せな時代は遠い昔に去り、今は、世の中にさまざまな人がいる、ということが、いわば常識として共有されるようになってきた。これは、一つの「進歩」なのであろう。
2015/02/05 07:42:12
茂木健一郎@kenichiromogi
憲法のことも、歴史認識も、教育観も、働き方も、愛し方も、ライフスタイルも、もはや人々はさまざまなのであって、ソーシャル・メディアのビッグ・バンが、そんな人々の虹の資質を世界に示した。スペクトラムのさまざまな場所からの人々の発信が、私たちを日々刺激している。
2015/02/05 07:43:55
茂木健一郎@kenichiromogi
合意に達したり、統合したりするのが難しい時代でもある。むしろ、合意や、統合といったことを、もはや果たせない「幻想」だとして、さまざまな意見が並び立つ世の中を生きていくしかないのだろう。むしろ、合意がなされるべきだという幻想への固執が、いらだちや諍いを生んでいるようにも見える。
2015/02/05 07:45:27
それではどうするか?って色々と考えてみることがあります。
そんな時、何となく浮かんできたのが「田舎の大家族」のこと。
今日はそのことについてちょっと書いてみようと思います^^
田舎の大家族が持つキーワード。
世代も思想も言語も、全く違う人達が同居するミックス空間
大家族は、世代も思想も言語も全く違いますよね。
私が今暮らしている高知の山奥、夫の実家とは5分くらいの場所にあって、普段から行き来しています。8歳~99歳のおじいちゃんまでがいる4世代家族。
「田舎の古い家」といえば、古臭い慣習やしきたりなどの家感覚を想像するかもしれません。
私も最初はそう思っていて、夫と結婚して彼の故郷へ移住することになった時、
ひそかに「その感覚に合わせなきゃいけなかったらどうしよう?」ってはらはらドキドキしていたものです。
だけど、実際に暮らしてみて、想像とは違うことに気がつきました。
彼の実家が特異なのかもしれないけれど、大家族で様々な世代や思想、言語を持つ違った人たちが同居しているからこそ「お互いを尊重する智恵」とか「置いておく智恵」があったんです。
自分とは全く違う人を受け止める「寛容」さを持ち合わせていたんです。
私はここで「意見は必ずしも一致させなくても、お互いを大切にすることはできるんだなあ」ということを毎日学ばせてもらっている気がします。
「違う」という前提があると「自分と違うから、けしからん」とは思えないすこやかさが手に入る。
いちいち一つの思想にあわせようとすればみんな息苦しくなる。そこからバトルや憎しみあいもはじまる。それならいっそ「相手も自分も違う」という前提を持って、意見でつながるのではなく存在でつながるほうがいい。お互いの領域を侵し侵さないから、逆にうまくいくこともあると思います。
夫の家族にはそれぞれ考えは違っても「大事な家族で、基本的に応援したい」という姿勢があります。先入観なく相手と付き合っていると、いつの間にか自分にはない要素も吸収できるんですよね。
私達が帰ってきてから、どこか「こんな田舎はもう無理」感覚を持っていた家族は少しずつ変化をとげました。「私達が説得したからそうなった」のではないのが面白くて、単純に「自然と若い人や子供の声を毎日聞いて、やってることを見て、実感して過ごしているから」だと思うんです。
何気ない毎日の中にあるリアルな実感がしみこんで変わっていく。今は「いてくれてとても嬉しい」「この地域は実はいいところやね」「誇らしい」という声をよく聞くようになり、考え方自体がすごく明るくなったなあと思います。
私達も、90歳を超えるおばあちゃんからは「いつもありがとう」と感謝して生きること、知性を持ち丁寧な言葉で話すことを毎日感じ取っています。
もうすぐ100歳を迎えるおじいちゃんの存在感からは、もうなくなってしまいつつある概念「徳」を感じます。お母さん、お父さんからは寛容さと愛情をいつも、感じ取ってます。
染み入っていくことは自然と染み入るし、必要なものは自然と受け取るし。
必要でないものは、お互いに受け取らなくていい。
そういうことでいいんだなあと感じます。
彼の家族がすごいなあと思うのは、例えば自分がしてほしいと思っていることがあったとしても、それを相手がしないからといって、強要したり怒ったりすることはまずない。
自分が必要だと思うなら、自分で静かに動くだけ。
そして相手がしていることが自分のためにもなっていたら「ありがとう、とっても助かるよ」っていうだけ。黙々と自分自身の内側に向かっている人たちなのです。
外に向かってやつ当たりしたり、強要しないからこそ、こちらも鏡のように照らされて、自分が必要だと思うことをしようと思えます。違うからといってどうこうないし、同調するでもなくそっと置いておいてくれる。ゆるやかに解放された中で、勝手に自発的になれる。
そんな許容量を持っている「大家族」というキーワード。
まさか私も、田舎の古い「家」から自由とか異文化理解を学ぶとは思っていなかったです。
統一されなくても、ばらばらでもいい。
無理にべたべたしたり、あわせなくてもいい。
そのまんま、お互いを寛容にまるごと受け止める知恵。
これからは血縁がない人とも、こんな大家族みたいな関係性が持てたら、世界はもっと平和になりそうだなあと思います。
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■私、ヒビノケイコの著書。高知の山奥で暮らしながら新しい時代のあり方を創造中。山カフェ日記~30代、移住8年。人生は自分でデザインする~ [コミック]
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