岸和田のカオス中学校に通っていた頃の話
高知に移住する前は、6年くらい京都で暮らしていたので、すっかり京都出身だと思われいているが、実は私の出身地は大阪の岸和田だ。
「岸和田」と聞いて相手がイメージするものといえば、全国から沢山の観光客が見にきて、死人も出ることがある、この祭りとか↓
岸和田少年愚連隊の影響でこれとか↓
だいたい、この二つだ。実際にはこういう面もありつつ、だんじりを所有していない郊外の住宅地もあるし、ヤンキーじゃない人も暮らしている町だ。
私が通っていた公立中学には色んな層の子がごちゃまぜになっていた。
・公営団地で暮らす、低所得者層の家庭の子供達。
・医者、大企業の親がいる新興住宅地の、中間層の家庭の子供達。
・昔からの町の地主の親がいる、ザ・地元の子供達。
・やくざのお家に生まれた子もいたし、
・事情があって親が子供を育てられないため、施設に預けられている子供達。
学校は、こういった子供達がいっせいに集うカオスな場所。
当時、その中学の歴史上最も荒れていた時期だったそうで、
普段歩いていると、2階から植木鉢が落とされたり(汗)
校舎の窓ガラスが割られたり・・・そんなこと日常茶飯時だった。
不良達は昼は学校でひと暴れし、夜になると暴走族に加わっていたり、
どのクラスにも陰湿ないじめがあったり、
先生達もまいってしまってウツになる人が多かった。
理想と現実のはざまで、どうするか?
や〇ざの車が特攻服のヤンキーを迎えに来ていた卒業式。
私は、みんな、悪い子じゃないことはわかっていた。
不良たちは、人懐っこくてあったかいところもあったし、話せば面白かった。
「それだけ寂しい何かがあるのかな、人に見てほしいって思うのかな」と感じた。
幼稚であっても何らかの自己表現ができるのは、少しうらやましい気もした。
私は、基本的にいたって普通の生活態度で、勉強もする生徒だったから、誰も注目してはくれなかった。それはちょっと寂しい気もしたけど、ヤンキーになるのも自分の表現とは違ったし、そんなところに使う余力が大人たちにないことも分かっていた。
ただ、いじめなどもはびこり、澱みが沈殿しているような学校空間に毎日通うことはしんどかった。
単純に合わなかったのだと思う。
当時の自分は、ちょっとすれた目線で社会を見ないと、自分の精神が持たないような気がして、心に変なクセをつけていった。
母は「しんどすぎたら、いつでも大阪市にある私立の学校に転校すればいい」と言った。
私は基本的には「どんな状況からも逃げたくない」と思っていたけれど、母の言葉は
「いざと言うときには、そうしよう」という心の支えになってくれた。
父は「世の中に出れば、色んな層の、色んな人がいるもんだ。
高収入の家庭で勉強もできる子ばかりが集まった場所しか知らなかったら、
これから生きていくのが大変。だから、色んな子のいる公立に通いなさい」と言った。
父が言っていることは正しいと思った。ただ、現実よりも理想的すぎるとも感じた。
内容的には理解できるけれど、実際に学校で起きていることは、大人が想像しているよりもはるかに混迷した世界。だけどそれは伝わらないだろうな・・・と判断した。
私は「よっぽど辛くてもう無理!」と思うまではその学校に通おうと決め、卒業した。
卒業式。
サッカー部の男子達に「写真とってくださ~い」とキャピキャピ盛り上がっている女子集団もいる一方で、校庭では特攻服を着た不良たちがずらりと並び、花束を抱えて彼らを迎えに来るや〇ざの車があった。
「もうみんなそれぞれの進路が決まってるんだね。なんか、すげーなあ」と思った。一方で、
「他の地域なら、ちょっと中学でグレただけの話で終わることができたかもしれないのになあ・・・」
と、少しもやもやしたものが残った。
それぞれの世界の子達は、ばらばらに散っていった。
「大人になったらもっと大変?」
「大人になればなるほど面白いよ」って言える大人になりたい
↑私が高校生のころ通っていたアートのアトリエ。家でも学校でもない第3空間があったことで、随分救われた。
岸和田のカオス中学校へ通う当時、周りの大人は言った。
「社会に出たらもっと大変なことがいっぱいある。今はまだ親に保護されてるから幸せやで」と。
私は「今が一番幸せなら、どうせこれから先生きていっても、いいことなんてないのかもしれない」と思った。
後々思い返してみると、この時期が私にとって一番辛かった時期である。
そして、私の場合大人になればなるほど、人生は面白くなっている。
周りの大人が言った言葉は、私の人生には全く当てはまらなかった。
誰かの言葉を信じこまないで、自分を信じて生き伸びてきて、良かったなあと思う。
高校→大学と進むうち、アーティスト、自給自足の暮らし、起業家、面白い活動や仕事をしている人たちなど、多様な人たちに出会えた。
その人たちからは「生きていることは、楽しい!」という雰囲気がいつも伝わってきた。
こういう大人もいっぱいいるんだという事実は、私をワクワクさせてくれ生きる勇気をくれた。
そうやってやっと、中学時にこびりついてしまったクセである「すれた視点」から脱し、
客観的に「カオスだなあ・・・色んな人、色んな世界があるよなあ」と受け止められるようになった。
自分らしい視点で、少しだけ温かく、清濁混じった世界を見られるようになってきた。
社会人になった今、特に裕福でもないし、社会的に特別な成功もしていないが、
人生は楽しい。子供に「大人って楽しいよ」って言えることが何よりも良かったと思う。
格差社会で「貧しくても、荒れない」には?
でも、このプロセスにはずいぶんラッキーが入っているので注意だ。
私が大人の言葉を信じなかったことや、すばらしい人との出会いなど。
そこには、ただの偶然も多い。
学校や家庭の辛い状況で一生傷がついたままになってしまう子や、
自殺しちゃう子を思うと、理想論と現実のギャップはやはり大きい。
だから、やっぱりその時々の現実に沿った対応は大事だと思う。
最近、実家のある住宅地は、住民がいっせいに高齢化し、土地が値下がりしている。
そこには若い世帯が入ってきて、空家になるのは防げており、とても助かっている部分がある。
が、「最近は格差が広がって、貧しい家がますます貧しくなってるからか、ますます地元の小学校が荒れてきてるんよね~」という話も聞く。先生の骨を折ったりとか、授業にならないとか。先生をしている友人にきいても「モンスターペアレンツも多い」とのことで信じられない話を物語かのように話してくれる(でも現実)。
結構すごいレベルだと思う。
こんな話を聞いていると、都会では「貧しくなる=荒れる」という構図がすぐにくっついちゃう気がしてドキドキする。普段田舎で暮らしていると、必ずしも「収入が少ない=荒れる」という構図になりにくい感覚を覚えていて、その違いは一体なんだろうって思う。そこに何かヒントがあるような気がするのだ。
私が住む高知県の山奥、里山に囲まれた小学校は、荒れた学校を経験してきた私から見ると
「考えられないくらいほのぼのしていて、信じられないくらいすれていない素直な子」が多い。
もちろん、何かしら問題はあったりするだろう。それを差し引いても、すごいと思う。
地域の人がいつも見守ってくれて、みんなで育ててくれている感覚が心強い。
かなりの山奥で仕事も少なく、人々の収入は、大阪に比べるとかなり低い。(2分の1くらいかな)
だけど、とりあえず何とか生きていけるベース・・・家、食べ物、人とのつながりがあるからだろうか、とにかく「安心して」子育てがしやすい感覚がある。
地域にはお金だけでない軸での、セーフティーネットが残っていることを感じる。
それ以外にもなにかしら理由があるのだろう。
とにかく「貧しくても荒れない」ってすごいことだと思うのだ。
これが、高知市になるとまた状況は違い、荒れてしまう子が多い地区もあると聞く。同じ田舎でも何が違い、何がセーフティーネットになっているのか、見極めると活用できるヒントが潜んでると思う。
子供の教育、という言葉を聴いたとき、思い浮かべるものはそれぞれ違う。
「教育=成績」とか「いい学校に入っていい会社に」のためのプロセスととらえる人も多いかもしれない。(もはやその先の受け皿さえ危うい状況にはなっているけれど)
ただ、それ以前1人の人間として「幸せに生きていく力」をつけること。
今の時代、人間としての土台をしっかり作ることが必要だと私は思う。
見えにくい「根底の根底」のようなもの。それをどう育むのか?
これから、格差は否応なく広がってゆくだろう。
そんな中で「貧しくても荒れない」ためにどうしたらいいのか?
一体何がセーフティーネットに成りえるのか。
様々な状況の中で生まれてくる子供たちが一人ひとり幸せになれるように願い、考えたい。
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