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栗の季節は栗ばっかり!
同じように、
初夏は梅が、夏はトマトが、秋は柿が、地域の方々から届けられ、
玄関にもりっとつまれている風景があります。
おばあちゃん達は、それを手間をかけて加工してくれます。
例えば、梅は梅シロップや梅酒、梅干に。
トマトはトマトソースに。
栗は渋皮煮や栗ご飯、栗のにものに。
柿は干し柿に。
どれも、本当に時間がかかって丁寧にしないといけない手間の結晶です。
一般的には、高級な車に乗ったり、高級なホテルに泊まったり、そういうことをリッチと
いうのかもしれません。
ですが、食いしん坊の私はこういう食べ物を「普段から何気なく」食べられるということ
に、ものすご~く!リッチ感を感じます(笑)
田舎って現金での収入は少ないのですが、こういうところは本当に豊か。
私ふくめ若者は、子育てしながら働きざかりで、
なかなかこういう手間と時間のかかる作業がしにくいです。
そこに、「おばあちゃん」世代がいることで、こういうことがかないます。
時間をおしまず手間をかけて、食材を大切にし、孫達のために・・・
と気持ちを込めて作ってくれる。
そして、それを息子、娘、孫が「おいしい~!!!」と一緒に食べる。
(すみません、得して・・・(笑))
そんな何気ない光景の中に、とても大事なものが潜んでいると思います。
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田舎へ引っ越してきたときに私が驚いたのは、お年寄りの居場所や役割が、
家庭の中にちゃんとあること。
例えば、夫の実家ではひいじいちゃんの仕事のために、五右衛門風呂を使っています。
薪割り⇒風呂焚きという、ひいじいちゃんの仕事と居場所がそこにあるわけです。
(今はもう100歳近くになり、さすがにおじいちゃんがやってますが)
ひいじいちゃんも、ひいばあちゃんも、できる年齢までは畑の草刈をしたり
野菜を作ったり、加工をしたり。
孫が産まれれば、面倒をみてくれたり。
そんな風にすごく自然に、その年代年代での仕事があり、それが居場所にもなっている。
そして、それに対する感謝は、本心から伝えられます。
「おばあちゃん、栗の渋皮煮めちゃくちゃおいしいよ~」
「おじいちゃん、今日もお風呂気持ちよかったよ」
若者が分からない知恵もたずねられます。
「おばあちゃん、今度稲を植えるときは、どうしたらいいかな?」
「昔はどうやって椿の油をとっていたの?」
「台風の日は、山のどこの溝をきっておけばいい?」
などなど。
そんな風に、おべっかではなく、本気でほめてくれる人がいる。
本気で感謝を伝え合える人がいる。
本気で、尊敬のまなざしをむけられる瞬間がある。
つまり、「自分は大切な存在なんだ」という
自己重要感が感じられる「機会」が暮らしのあちこちにあるということです。
それって、本当に大事だなと思います。
老人施設のお客様としてのレクリエーションだけでなく、
こういう自然な形で居場所があること。
退職した後も、自然や人とのつながりがあることで、やるべきことが自然と発生します。
一見、田舎暮らしは能率的には整理されていなくて無駄の多いように見えますが、
この無駄な部分が豊かさを生んでくれる場所でもある。
家族のなかで少々喧嘩をしたとしても、
年をとるにつれて自分の体が老いる変化の波が来たとしても。
そんな時期にも「自己重要感」があることで、底辺が支えらてゆく気がします。
その年代に応じた、その人の居場所や仕事を大事にする。
家族一人ひとりが、ちゃんと声をかけあい、尊敬しあって、暮らす。
おばあちゃんみたいに、手間のかかることはできないけれど、
そんな小さなことを大事にしたいなあと思う今日この頃です。
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