今朝、夢をみた。作家の村上春樹さんのお宅で、にこにこ話しながらごはんを一緒に食べている。わたしの好きな、鰹節のかかった冷奴や、塩トマトや、きゅうり揉み、煮魚・・・シンプルなおかずばかりで、おいしかった。

わたしはコテコテの複雑化した洋風料理よりも、こういうただのあっさりした和食が根本的に好きなんだ。

目が覚めたとき、ふと思った。
「難解なゲームほど攻略したくなるけれど、それを攻略したから何かすごいものが得られるわけではない。シンプルなものを選ぼう。」
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わたしは、癖で、理解できない人ほど無理して理解しようと頑張ってしまうところがある。ビジネスでもそうかもしれない。わからないこと、むつかしいことのその先に、何か面白いことが待っているような気がするから。深いものがあるような気がするから。


だけど「何も待っていないこともある」ということに、最近気がついてきた。理解しようとしたその先に、面白いものなんて特になかったり、深掘りしてみた先に何もなかったり。



揺れ幅の大きいものを、つい追いかけてしまいそうになることは、動物だからあるのだろう。けれど、ぶんぶん振り回されるだけで良いことはあまりない。
「手のかかる子のほうがかわいい」なんて言われるけれど、大人になるに従って思うのは、手がかからない、そっと、自分を自分で調律している人こそ大切にしたい。


シンプルで、やさしく、ささやかなもの。安定感のあるもの。
それらは派手ではないし、じんわりしたものだから、注意をひかない。
複雑じゃないから、解明しなくてもいい。
面白みには欠ける、出汁みたいなところもあるかもしれない。


だけど、確かに人をそっと支えてくれている。
裏表なく、関わってくれる。
個性という具材を入れたときに、おいしいスープが仕上がる土台を作ってくれる。
シンプルなものは薄味だ。


そういう人をちゃんと見ている人でありたい。



複雑化したものや、派手な変形を面白がるだけでなく、シンプルなものを選び、重ねていこう。人との関係も、仕事においても。