納得感が出るところまで


002


「いちいち納得するまで一つ一つのことやるからすごいよね」
最近なぜか、別々の年上の女性たちから同じことを言われる。


そのうちのひとりであるNさんはこう言った。
「わたしやったら、うやむやにしちゃうこととかでも、あなたは納得するところまでやるやろ?それ、意外と大事やなって今になって思うねん。」


いや~・・・今まで「そこまでよくやるね」となかば呆れられることはあっても、あまり褒められなかったこと。でも、言われてみればそうかも。人から見て変であっても、結局関係なくやっちゃってる。


暮らしでいえば、マンションで暮らしたこともあれば、シェアハウスで暮らしてみたこともあり、お寺で自給自足的な暮らしをしたこともあった。仕事では陶芸作家やカフェをしたこともあったが、今は執筆が中心。他にも、友達との関係や、恋愛、親子関係、とりあえずいろいろと実験してきた気がする。


撃沈したこともあれば素晴らしかったこともあり、だけどそれに基付いて答えは出してきていて「しゃあないヤツやなあ」とは思うけど後悔がない。


Nさんは言った。
「わたしのやり方ではその場はうまくおさまったとしても、実はその先答えが出ないまま流してるんちゃうかなって。やっぱり解決してないし先送りやん。けいちゃんは、見てて大変そうなときもあるけどやっぱり気持ちいい。いざというときは、ヘルプも求めてくれるし。ひとつひとつのことに、自分なりに納得して答えをだしていくから、その物事を終えても、次がひらけるんやと思うねん。今もそうやん?一年前に店閉めたとき、自分にとってこんなにいい感じになると思ってた?」と。


・・・そうかあ。わたしは自分のそういう性質を、いちいちめんどくさいやつだなあと思ってた。むしろ彼女らみたいに、色んなものごとをまるく温かくおさめて歩いていくような人に憧れるし、その要素も必要だとも思っている。だけど、今までやってきたことも、それはそれで良かったのかもしれないな。
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孤独感と諦めと、自分でできること

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こないだ、あるメディアのインタビューを受けたときに「独特の世界観を持っていたから小学校~大学生まで孤独じゃなかったですか?疎外感はありませんでしたか?」ときかれた。


つまり小さい頃から変わっていたということなんだけど、いつも自分を本当の意味で分かってくれる人は周りにいなくて寂しかった。楽しいと思うことや興味を持つこともみんなとは違ったし「このまま一生、心から分かり合える友達なんて出来ないのかな」とは思っていた。ひとりだなあって。


だけど、それはそれでしょうがないと思うふしもあった。周りの人は周りの人の思いとやり方でわたしを愛してくれているんだし、それが自分にぴったりこなくても、周りのせいじゃない。ありがたいし、求められない。だから、ある意味で自分の指標にそって、思ったことをやってみる。得ていくことしかなかったんだと思う。

自分の指標を軸におく


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ダメでも、うまくいっても、命までとられなければいいと、どこかで思っている。とりあえず体を張って人生を使って実験してみると「はあ~、こうしたら、こうなるんやなあ」という現実的な結果と実感がやってくる。結果をもとに、次はどうしようか考える。 それが、たとえ人の指標から見て「え!?」と思うことでも、いい。


例えば、自給自足的な生活をやってみてわたしが感じたのは「土に根ざした暮らしはとても気持ちいい。だけど、今のやり方じゃストイックすぎて楽しくないな。生活に時間がかかりすぎて、何かを創作する時間が足りない。これからどうしようかな?」だった。


だから、子どもが産まれてからはもっと便利で快適なもの、きれいだな、美しいなと思うものも取り入れるようになったし、生活の時間を創作に向けられるように工夫してみた。(参考:


仕事も理想だったカフェをやってみて、素晴らしい面もあれば、肉体労働が向いてないことも分かったり(笑)自分がいちばん喜ばれて、能力も発揮できるポイントが見え、将来のことを考えたときにカフェは閉めて執筆に切り替えた。


人から見れば意外なようで「え、なんでそこまでやってたのに、やめたの?」「そこまで結果出てるのに、もったいない」となることもある。いい意味で言えば柔軟だけど、悪い意味でいえばよく分からないヤツってことにもなるんだろう。


ただ、わたしは人の目がちょっと気になったとしても、それに添って行動はできない。失敗した時に大怪我するような転び方をしないように整備して、人に多大な迷惑をかけないように配慮できれば、自分の軸にそって行動する方をとっているのだと思う。

コツンと当たるところまでやり切る

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納得感にはポイントがあって、心の深いところにある「コツン」と当たるところまでいけるかどうか。まだやり切ってないときは、そのポイントまでいかないのでもうちょっと同じ事柄の中で試行錯誤してみることが必要。でも、もうやり切ってコツンとあたるところが見えてきたら、次に進む。


次がひらけてくるかどうかは「そこで、その時出来ることをやり切ったかどうか」にかかっていると思う。これも、人の指標と言うよりは自分の中の指標。その時はその時の実力しかないので「100%はできなかった・・・」とか「もういっぱいいっぱいになっちゃった」ということもあるし、一見キレイな答えではないかもしれない。だけど、最善を尽くしたのであれば、確実にその時点での最大の答えなのだと思う。(参考:

小さな頃の孤独は、大人になると役立つから


Nさんは言った。
「それが思考上で考えた諦めではなくて、やってみた実感だからいいんだよね。だから人にも伝わるんだよ」


そうかあ。小さな頃の孤独は、大人になるたびに熟成されて、ちょっとは役立つものになるのかもしれない。道なき道を歩いてきた人達と出会えて、お互いに状況は違っても理解でき、そっと支えあえることも増える。


だから、バカでもいいので納得するまでやってみるって大事だよ。きっと(笑)

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■著作エッセイ漫画
山カフェ日記~30代、移住8年。人生は自分でデザインする~
山カフェ日記~30代、移住8年。人生は自分でデザインする~ [コミック]










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