土佐弁ネイティブに馴染むまで


私は大阪で生まれ育ち→大学をきっかけに京都で6年→今は高知で8年間暮らしています。
なので、大阪弁×土佐弁×京都弁のトリリンガル状態・・・(*^・ェ・)ノ
大阪に帰省した時には「~やきねえ」という土佐弁が出るし、高知では「~してはる」という言葉が出て「やっぱり京都の人やねえ」といわれるし、京都では「関西ベースのだしに土佐のアクセントが絶妙の風味~みたいな謎の言葉を使ってるね」って言われるしΣ(・ω・ノ)ノそんなミックスされた言葉使いになってます。
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高知の山奥に移住した当初、なかなかなじむことが出来なかったことの一つはやっぱり「言葉」。
土佐弁は「げにまっこと~ぜよ」(本当に~)ざんじいかにゃあいかん」(すぐにいかないといけない)「ごくどうせんと~」(なまけておらずに)「こじゃんと」(たくさん)など、かなり古語に近い印象。

若い人の土佐弁はまだわかっても、おじいちゃん世代の土佐弁はもはや何を言っているかわからないレベルの濃ゆ~い土佐弁。ただ、私の場合は毎日夫の四世代家族(土佐弁ネイティブ)と触れ合っていたため、1年ほどでだいたいおじいちゃんが何を言っているかわかるようになりました(*・ω・)ノ


言葉にしろ、習慣にしろ、地域やその人によっての違いは面白いのですが、違いをとらえていないとそこから「すれ違い」や「誤解」が生まれることもあります。

一つの言葉からうけとる意味の違い。


例えば、土佐弁では↓のように「~の方がましよねえ」と言うことがあるんですよ。

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私が長年住んでいた大阪~京都では、基本的に「まし」というのは「~するよりはまし」などというちょっとネガティブなニュアンス。でも、土佐弁の場合は「どちらかといえば良い」というちょっとポジティブなニュアンスも含んでいるんですね。
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この違いを知らないと↑の漫画みたいに誤解が生まれることがあります。でも、ちゃんと分かっていれば、別に腹が立つことはない。このような意味の違いを理解しておくことは移住者も地元者にとっても大事なことだなあって思うようになりました。

京都人と土佐人の違い


例えば、京都では「ぶぶ漬け(お茶漬け)は、いかがどすか?」と聞かれたら「そろそろ帰ってくださいな」という意味だと言われますよね 。もし本当に食べて帰ったら、空気読めないやつ、と思われちゃう。京都に住んでいた時、生粋の京都人と接して感じたのは「一見柔かく思える言葉の裏の裏まで読み取る必要がある」ってことでした。

高知では、京都と全く違い「初対面からずかずかと」そこまで聞く!?そこまで突っ込んでくる!?ってくらいあけっぴろげな印象。「表裏はないけど思ったことは言う」感じ。
これだけ地域性によって違うんだなあと感じました。

でも、方言や地方の文化においてだけではなく、実は「人間一人ひとりの持っている言葉の意味合いは違うんじゃないかな?」と思うんです。自分と相手のバックボーンや、世界観、指し示すものって全く違いますよね。言った言葉を、全く違う意味にとらえられてしまうこともある。

そのため「相手がどんな言葉を使う人なのか?」「どんな風に世界をとらえているのか?」を把握していくこと、「言葉に出来ていない思いを汲み取ること」「分からなければ素直に相手に質問してみること」が、とても大事だと思うようになりました。

再定義と翻訳者の存在



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だからこそ、違う文化を持つ人と人が出会った時「両者の間で、お互いの言葉をとらえなおし、翻訳していく」ということ。言葉の再定義が行えるか?
は大事なことだと思います。
どちらかにあわせすぎるのではなく、交わりながら新しく再定義された言葉を共有していく。

言葉はその人の思考や概念が現れたものでもありますから、そこに新しいものを見出せるということは、思考や概念の幅も増えるということにつながるのではないでしょうか?

そうやっているうちに、例えば「地元の人は保守的で・・・」とか「移住者は何考えてるかわからん」とか、そう思っていた過去の思考や概念も変わる。お互いの違いを受け止めて新しいとらえ方ができるようになっていく。そんな気がします。

また、例えば田舎では移住者と地元者の間の誤解が重なりトラブルになった場合、間にUターン者が入って、お互いの言葉や行動の意味、気持ちを翻訳してつなげる・・・ということもあります。そんな風に、翻訳者という存在はとても重要になっているということです。
と、そんなことを考えていたときに見たこのツイート、すごくいいなと思いました。


このように、世界から入ってきたものをどのように自分という装置を通していいものにするか?
そして現実世界に役立つものにして発していけるか?
そこが、言葉や思考を持つ人間としての勝負なんだと思います。


例えば、日常でものすごく腹が立つことや、嫌な陰口を叩かれた時。自分も同じように世界に憎しみを発散し、負の連鎖を生み出すのではなく、どう翻訳し、再定義しなおして、何らかしら誰かや世界のためになるエネルギーに変えていけるかということ。

例えば、仕事においては専門性が高く、一般の人には分かりにくい内容である場合、それをどう普段のことがらに翻訳し、より多くの人の役に立つようにしていくか?縦軸(専門性)と横軸(日常性)をつなげていく存在になれるか?ということ。などなど。

翻訳や再定義は、言葉、表現活動、移住、仕事、コミュニティ・・・どのようなことにも通じること。これからは違う世界の人をつなげていける人が、重要な立ち位置になってくる気がしてしかたありません。

■私、ヒビノケイコの著書。今回はここに掲載している漫画から少し抜粋しました。
山カフェ日記~30代、移住8年。人生は自分でデザインする~ 山カフェ日記~30代、移住8年。人生は自分でデザインする~ [コミック]








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自然派菓子工房「ぽっちり堂」
山の素材で手作りした優しいお菓子ギフト。