「今は、みんな保護ばっかりされてるやろ。
子供の時から保護、保護、保護。
その保護から出るときが必要なんや。
それが、この地域ではできる。
地域に出て、自然の中で生きた時、
人間本来の生きる力がひらくんや。」
川上さんは、10年前、
神戸で長年勤めた会社を退職され、
奥様の故郷である人口500人の大川村に移住された。
私達も移住してすぐに川上さんに出会った。
にっこり、顔をくしゃくしゃにして笑う川上さんを見て、
笑顔がすごく素敵な方だなあ・・・
と、なんだかすごくホッとしたのを覚えている。
時々お邪魔する、川上さんのお宅。
そこは、山の急斜面。
お茶畑、農園、うこっけいの小屋。
それらを育ててネット通販されている。
自力で山の上に丸太小屋を建て、
10年前からコツコツ植えた桜が山いっぱいに咲く4月には、
盛大な「桜まつり」を開催する。
川上さんが大川村に移住された時、
はじめて作った、うこっけいの鳥小屋。
出来上がりを家族で喜び、数日たったある日、
大雪が降り、小屋がつぶれた。
「そのときはショックやったんやけどな~、
くそ~っ、それならまたつぶれないのを作ってやろうと思って」
川上さんは何度も改良を重ね、雪でもつぶれない小屋を作り上げて行った。
昨日も、サルが畑のサクをくぐって食べ物を食い荒らし、
とうもろこしを両手に抱えて盗み取っていこうとしたので、
夫婦ふたりでサルを追い回して退治したらしい。
「畑のサクの中で、まるで運動会みたいにかけっこしたよ。
本当は退治したくないんやけどね、自然の中で生きるってことやから」
山深い大川村では、獣害もひどく、
厳しい自然の中では予期せぬことがいつも起こる。
そんな中で川上さんは、「じゃあ、これからどうするか?」
そこから考え、実行していく。
「そのこと自体が生きる力の源にもなるんや~」
とっても楽しそうに、困ったことを話すのだ(!)
________________________________
川上さんはキラキラした顔で、
おなかの深いところから声を出して言う。
「この場所では、生きている充実感がすごいんや。」
そして、ご夫婦で笑いあう。
「ここでいると、やることがいっぱいあって、
時間がなんぼあっても足りへんなあ」
そんな言葉を聞く度に、私はますます将来が明るくなり、年をとるのが楽しみになる。
大人は、子供にこんな言葉を言いがちだ。
「今は親や社会に保護されている中で暮らせるからいいけど、
大人になったら自分で生きていかないといけない。
社会っていうのは、甘くないんだぞ。
もっと苦しいことも辛いこともいっぱいあるんだぞ。
楽しいのは、今のうちだけだぞ」
おそらく自律を促そうと思って言っているのだが、
こんな風に言われると、
保護されてない環境にいくことが怖くなってしまうし、
歳をとるのがいやになる。
また、いじめられていたり、辛い状況にある子にとっては、
「今よりもっとつらい将来が待っているの・・・?」と、
希望も見失ってしまう恐れさえもある。
自分自身を振り返ってみると、年々生きるのは楽しくなるし、
「大人になることって、ほんとは面白かったんじゃない!」って思う。
子供には「大人は楽しそうでうらやましいだろ~。楽しみにしてろよ!」
と言ってやりたい(笑)
もちろん、生きる上では辛いことも、大変なこともある。
現実社会の中で格闘することもある。
ただ、自分が決め、そのぶん責任もとって、
やりたいことと現実を掛け合わせていく毎日は、
ほろ苦しさも、楽しさも含めて味わい深く、充実しているのだ。
川上さんの言うとおり、保護されなくなった時、
人は逆に輝きを増すのかもしれない。
逆境にありながらも、キラキラしている大人の姿。
そのうしろ姿が、人の希望になる生き方。
そんな風に生きたい。
川上さんの周りにはいつも若い人たちが集まり、
まるで大川村のお父さん、お母さんのようだ。
私には、その理由がよく分かる。
Copyright (C) 2014 Keiko Kawamura.pocchirido. All Rights Reserved.