プラユキさんのタイのお寺では、瞑想修行を中心にタイ人も日本人も過ごしていました。
瞑想、というと日本では、「神秘的なもの」とか「何だかあやしい~」と
思われる方も多いと思います。
私も実際にするまで、そういうイメージもありました。[E:sweat01]
が。プラユキさんが伝えてくれる瞑想は、ものすごく現実的に日常の中で活かせるものでした。
要は、「脳の筋トレ」みたいなものです[E:happy01]
「身体を鍛えるのとおんなじで、心も鍛えていくと、心筋肉が発達して成長していけるよ!」
とプラユキさんはいつか、言っておられました。
おし、私も心筋肉マッチョになるぞ(笑)!!オス!!
森の中で、歩いたり、いすに座ったりしながら、めいめいが瞑想をしています。
タイのお寺では「念じればかなう」とか、「信じれば救われる」=仏教ではありませんでした[E:pass]
村のおばあちゃん、子供、若い人のふつうの暮らしに、ものすごく溶け込んでいるもの。
自分で自分の心を自覚的に整えていく具体的な技術(=瞑想)を教えてくれたり、
暮らしの中で、自分にも人にも、よりよい行動をとっていくための、
精神的な土台を作る場所・・・
それをお寺が、担っているという感じをうけました♪
毎朝の托鉢では、村の人たちが炊きたてのご飯やおかずを下さり、
子供も大人も、お祈りをします。暮らしに溶け込んだ、とても美しい時間です。
「心」って、瞬間瞬間に変化します。
感情や感覚は、絶えず変化してやってきます。
うれしいと思ったら次の瞬間悲しい気持ちがやってきて、
さみしいと思ったら、次の瞬間には一人になりたいと思う気持ちがやってきて・・・
と、脈略なくやってきます。
感情=「自分」みたいに、感情に突き動かされて行動しがちなのですが、
そうするとまず自分もへとへとになります。
人を怒りでコントロールしだしてまたへとへとになり、自分も人も疲れます。
心のトレーニングをしていくと、
無自覚だったそんな感情や感覚が、一瞬一瞬、
「うまれては消えていく」ということに、気がつきはじめます。
距離がとれて、なんだか心に「余裕」の一呼吸、ができてくるんです。
余裕が生まれると、今までなら瞬間的に怒っていた!!というシーンで、
ちょっと、踏みとどまって一呼吸できるようになります。
さらに余裕があれば、「怒らないで、いい言い方で伝えよう」という行動がとれるようになっていきます。
こうして、自覚的にいい方向を選択して、行動して・・・
という新しいサイクルが生まれてきます。
今まで無自覚にしていた、「自分や人を傷つけるパターン」から
少しずつ抜け出し、自覚的に良いパターンが新たにできていきます。
脳の回路が、新たに開発されていく、という感じ☆
お、おもしろい~!!
過去を後悔したり、未来を不安がったりしてエネルギーロスせず、
「今、ここ」の一瞬一瞬に戻ってきて、
ひとこまひとこまを大切に生きていける。
色んな心の混乱がとけていって、さわやかな感じがする・・・
根底に安心感が広がっていく~☆
そんな風に毎日過ごしていきました(続く)