「みつめる」look at というよりは、
「ながめる」seeみたいな感覚。
お寺での毎日の中、リラックスして、
世界や感情にオープンにいられるようになってきました。
今までは、繊細で感情の幅が大きい分、
自分の中の感情への対応に、苦労してきました。
そんな自分がとても嫌いでした。
お寺でいるうちに、
振り回されるでも、
逃げるでも、
攻撃するでもないやり方があるんだ!
と知りました。
ばななや色んなフルーツが毎日並ぶ食卓。
色んな音色を広く、やさしく味わっていくような感覚。
裁いたり、嫌悪したりせずに、
どんなものも、ただ味わっていく・・・
音楽のように、悲しい歌も楽しい歌も、
それぞれの美しさがあって、それを聴く感じ。
起きる感情に対して、つかまえてじいっと見たり、
あれこれ意見をいわず、
流れていくままに流していく感じ。
そんなもの全てが、世界や自然の美しさの中で
優しく、安心して起こっている・・・そんな感じ。
その感覚をつかめて、少しずつ、変化が起きて行きました。
自分を受け入れる、人を受け入れる、
そんな器が育っていく感じがしました。
プラユキさんにはいつも、
「感情豊かなこと自体は、否定しなくていいんだよ。
その分色んな人の気持ちがわかるんだよ。
共感してあげられる幅が大きくなるんだよ。」
「感情豊かなままに、それに振り回されないで活用できていけば、
人に寄り添える、すてきな人間になれるよ☆」
そう言われます。
そうだな。
いつか、そんな風になれたらいいな・・・・
と思いつつ進んでいます(続く)